島左近=大阪城天守閣蔵
https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/t/amd-img/20240606-00050065-yom-000-23-view.jpg http://jump.5ch.net/?https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/t/amd-img/20240606-00050065-yom-000-23-view.jpg

 戦国武将・石田三成の重臣・島左近のものと伝わる墓の発掘調査が5日、京都市上京区の教法院(きょうぼういん)で行われ、ほぼ全身の骨が見つかった。左近の骨かどうかは不明だが、今後、骨の年代などを調べるという。

 左近は「治部少(三成)に過ぎたる(もったいない)ものが二つあり 島の左近と佐和山の城」と評されるほど有能な家臣だった。関ヶ原の戦い(1600年)で討ち死にしたとされるが、生き延びたとの説もあり、墓が左近の出身地とされる奈良県など各地にある。

 教法院の墓には、左近が土葬されたと伝わる。墓碑と過去帳には、左近が1632年(寛永9年)に没したと記されている。

 調査は、墓石の修復と建屋の新設に伴い、京都市文化財保護課や京都芸術大の石神裕之教授(近世考古学)らが実施。読経後に墓石があった場所を約20センチ掘ったところ、甕(かめ)式の棺(直径45センチ)が見つかり、中に頭や顎、骨盤などの成人とみられる骨が入っていた。

 調査に立ち会った歴史学者の磯田道史さんは「左近は民衆や敵方からも崇敬を集めた武将だった。本人の骨かはわからないが、研究が進むのを楽しみにしている」と期待した。

 教法院の三木天道住職(53)は「今後、専門家と協力して骨の調査を進め、実像に近づければ。墓所は整備後に改めて公開したい」と話している。

6/6(木) 12:46配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/577541bd265bbb5c3e6182b799bc1fb32831b538
https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/t/amd-img/20240606-00050065-yom-001-23-view.jpg http://jump.5ch.net/?https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/t/amd-img/20240606-00050065-yom-001-23-view.jpg

戦国武将、石田三成の腹心で、慶長5(1600)年の関ケ原の戦いでの勇猛な戦いぶりが伝わる島左近の墓の発掘調査が5日、立本寺(京都市上京区)の塔頭(たっちゅう)、教法院(きょうぼういん)で行われた。関ケ原で島は討ち死にしたとされる一方、遺体は見つからず、合戦後の消息については生存説を含めて複数の説があった。この日の調査では複数の人骨が見つかり、三木天道住職は「骨はないと思い寂しい気持ちだったが、(骨が見つかり)ありがたい話だ」。今後、さらなる実態解明を進める。

三木住職によると、島の墓所は全国に5カ所ほどあるというが、教法院の墓石には唯一「土葬」との文字が刻まれている。教法院には島の墓牌と過去帳などが残されており、それによると島は関ケ原の戦いから32年後の寛永9(1632)年に亡くなっていた。また三木住職は、関ケ原の戦いの後も島が京都で生存していたなどの証言があることも強調した。

発掘調査は島の墓石の修復や建屋の建立に伴い実施された。この日、調査に先立って墓前で三木住職が読経する中、関係者が手を合わせた。その後、協力した京都芸術大の石神裕之教授(近世考古学)らがスコップで土を掘り、慎重に作業を進めた。地表から約20センチ掘り進めた場所で壺が見つかり、中から頭蓋骨や骨盤などが見つかった。骨は状況から18歳以上の成人とみられる。石神教授は「(骨は)大変いい状態で残っている」と話した。

「治部少(石田三成)に 過ぎたるものが二つあり 島の左近に 佐和山の城」と評価されるほどの武将だった島。だが関係史料は少なく、その実像には謎が多い。教法院や関係機関は引き続き調査を進め、島の生存伝説の解明を目指す。(森天音)

6/5(水) 18:47配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/9358ea5ed8ecc9e6dfa02d1180c57cbe6642c1f6
https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/t/amd-img/20240605-00000166-san-000-5-view.jpg http://jump.5ch.net/?https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/t/amd-img/20240605-00000166-san-000-5-view.jpg
  1. 346 ID:IVI/efRz0
    >>313
    義弘は中央の軍に勝ったことないよ
    義弘がまともに勝ったのは九州内と弱々の朝鮮兵相手ぐらい
    「島津」の大きな戦績は大体家久が挙げてる
  2. 348 ID:+k3N+Xz/0
    >>343
    訂正 吉川に秀元を抑えさせていた
  3. 350 ID:61vBnR+a0
    >>331
    かたや徹底抗戦派かたや東軍に内応派
    その2人を一緒に出したのは総大将の輝元なんだから
    せめて関ヶ原と四国侵攻とでわけたら良かったよね
  4. 353 ID:OIkABEoC0
    >>336
    小早川存命だったら
    輝元は西軍の総大将を引き受けなかったか、
    もしくは毛利がまとまって東軍に勝っていたかのどちらかだと思うわ。
  5. 355 ID:61vBnR+a0
    >>336
    存命してれば金吾中納言もまだまだ隆景に教育されてるだろうからね
    毛利家は備中高松城と関ヶ原と戦国のターニングポイントにここぞとばかりの場所に布陣してるんですよ
  6. 358 ID:pm7w1kGq0
    >>353
    当時の人口と生産力は圧倒的に上方だったからそこを抑えて長期戦に持ち込めば家康のほうが不利だった
    小早川隆景なら外交戦で東軍切り崩していったんじゃないか

    小牧・長久手の戦いに勝った家康も経済力や外交戦は圧倒的に秀吉に負けて最後は降伏したわけで
  7. 360 ID:VokAQl8F0
    >>352
    意味不明
  8. 363 ID:pm7w1kGq0
    >>355
    実際どうなんだろうな?秀秋は朝鮮出兵ではそれなりに活躍してるから武将としてはそこそこだったけど政治家に向いてたかといえば
    微妙
  9. 365 ID:VokAQl8F0
    >>364
    全く意味不明
  10. 367 ID:61vBnR+a0
    >>353
    関ヶ原でもいいんですよ
    松尾山に金吾中納言じゃなくて隆景
    南宮山に秀元率いる毛利本隊と吉川隊
    大阪城の輝元含め隆景に逆らえる人間は毛利家中にいない
    この布陣でもう関ヶ原に勝ってしまう
  11. 369 ID:QkWiacFo0
    >>258
    うん
    いないw
  12. 371 ID:61vBnR+a0
    >>363
    秀吉に大将の心構えとしてみたいな説教されてるくらいだから肖像画からは想像できないですが
    猪突猛進タイプだったかもですよね
    政治力に優れていたら関ヶ原であの立ち回りはしませんよな
    もう5年位は養父隆景に教育されていれば良かったのに
  13. 373 ID:QkWiacFo0
    >>264
    >島津は石田三成に度々救われてきた恩があるので石田三成には逆らえない

    そうなの?
    その割には関ヶ原で三成の命令と言うか要請は悉く撥ねつけてるけどw
  14. 376 ID:OIkABEoC0
    >>373
    島津も津軽も三成のおかげで存続できたと言っても過言じゃないからな。
    だから関ヶ原での義弘の動きは全く理解できんのよ。
  15. 380 ID:61vBnR+a0
    >>375
    戦を決定づけた立ち回りだけど戦功第一じゃなくて汚れ役でしょ
    最初から東軍と旗色がわかってたらあの位置に布陣できないわけでね
    むしろ合戦始まったら周りから一斉に集中攻撃されるわけだから
  16. 382 ID:QkWiacFo0
    >>376
    「ナニをしたかったんだ?」ってのはあるわな
    その場の空気に流されて致し方なく参陣してしまったのかw
  17. 385 ID:OIkABEoC0
    >>380
    汚れ役というのは最後まで毛利の立場でいながら
    完全に裏切っていた広家だろうよ。
  18. 388 ID:pm7w1kGq0
    >>374
    何か工事でもするからじゃないの?この手の発掘はだいたい改修とか工事があるときにやる伊達政宗の墓も瑞鳳殿再建に併せて発掘されてた
  19. 390 ID:61vBnR+a0
    >>385
    毛利両川どちらも汚れ役だからね
    小早川と吉川が戦場にいなかったらワンチャンあったわけでさ
  20. 392 ID:KFlkcb3Q0
    >>88
    誰かが毛利勝永主役の小説か漫画で大ヒットさせれば一気に知名度挙がる可能性はある
  21. 394 ID:pm7w1kGq0
    >>387
    攻撃する前に東軍出てきたから無理よ
    それに山頂に陣取られてるから簡単に落とせない
    そうなると関ヶ原に展開して守りを固めるしか無くなる島左近に提案されたように熱田で防ぐという案を採用してれば関ヶ原の合戦は無かったよ
  22. 396 ID:OIkABEoC0
    >>394
    だから西軍の問題じゃない。
  23. 398 ID:pm7w1kGq0
    >>284
    そう豊臣家の公式の戦いというカタチにするば影響力大きかった
    鳥羽伏見の戦いも錦の御旗出たら譜代の井伊家や淀藩の稲葉家(春日局の子孫)がそっこう寝返った
  24. 400 ID:m+ey6SbF0
    >>399
    ネット社会なったしそのうちメルカリに出てくるだろ
  25. 402 ID:KFlkcb3Q0
    >>195
    子供の頃三重の松阪に住んでたから当時は歴史興味なくても氏郷は知ってた
    氏郷まつりやってるから
  26. 404 ID:Zdihw5GH0
    >>269
    実際の上杉謙信は>>96って感じなのに
    【天と地と】と【信長の野望】で軍神と呼ばわれてる
    まぁ島津とか立花とか真田とか地元民が過剰に持ち上げてネガティブな情報は封殺しちゃうからなぁ(´・ω・`)
  27. 406 ID:pm7w1kGq0
    >>195
    立花宗茂は柳川では有名人
    旧大名家としては珍しく地元に住んでるし
    岡山の池田家と並んで柳川の立花家くらいだろうな今でも地元にいるのは
  28. 408 ID:pm7w1kGq0
    >>405
    再建しようにも土地がないのでは?
    焼ける前は広大な土地に霊廟あって残ってたら間違いなく世界遺産になってただろうし
  29. 410 ID:pm7w1kGq0
    >>407
    偽旗だけど朝廷から授与される形式とったから本物になってしまった
    当時は国史を読んでるのが倒幕も佐幕派も常識だった時代で錦の御旗がヤバいのは佐幕派にもわかってた
  30. 412 ID:pm7w1kGq0
    >>404
    本能寺の変がなかったら上杉は織田家にやられて滅亡してたからな謙信が後継者をはっきりさせてなかったから御館の乱が起きて弱体化してしまった
  31. 414 ID:OIkABEoC0
    >>412
    北条からの養子に越後の武将があれだけ味方につくじてんでなあ。
    景勝って少しな。
  32. 416 ID:QkWiacFo0
    >>96みたいなアホの話をまともに信じる馬鹿がこんなにいるとはww
  33. 419 ID:jTgATDwe0
    >>417
    本能寺の状況で文官も武官もあるかいな
    戦国無双じゃあるまいし
  34. 421 ID:LDxv5WgQ0
    >>194
    原作ありきではあるが漫画パチンコで有名になった類の武将じゃねえか
    江戸の時代の講談ガーと同じレベルの奴上げるなよ
  35. 425 ID:pm7w1kGq0
    >>417
    明智光秀は合戦でもそれなりに活躍してる
    鉄砲の名人だったから本圀寺の変ではそれで
    活躍して信長の援軍が来るまでに持ちこたえるのに成功
  36. 429 ID:3FQwf8MW0
    >>417
    本能寺の変は明らかにおかしい。
    とにかく護衛が手薄すぎ
    あと、本能寺にいるからって場所バレすぎ
    信長がそんなマヌケかな?
    絶対なんかある
  37. 433 ID:2M8Dn1kq0
    >>376
    島津は単に兵が少なくて動きたくても動けなかっただけだよ
    無い袖は振れないからな
    慶長5年の義弘書状を読んでいくと事あるごとに国元に援軍を要請してる
    しかし島津は朝鮮出兵でのダメージや関ヶ原の前年に発生したお家騒動(庄内の乱)の影響から義弘の援軍要請を拒否
    義弘からだけじゃなく毛利輝元や宇喜多秀家からも義久に早急に兵を率いて上洛してくれという書状も残ってるがそれも無視

    と言うか義弘は会津征伐に際して家康から伏見城の留守居を頼まれてるが上方での島津兵が不足していて役目は果たせないとの理由で話が流れてる
    そこでもう一度家康に伏見城の留守居役を仰せつかるべく直談判しようとしたら家康は既に会津に向け出陣
    どうしようか悩んでるうちに内府違いの条々が出されてじゃあ世話になった三成に味方するかって感じの流れだからな
  38. 436 ID:KFlkcb3Q0
    >>431
    真田も同じ思いだったろうな
    伊達も東軍ながら内心がっかりだろうなw
    政宗は第二次戦国時代期待してただろうに
  39. 438 ID:pm7w1kGq0
    >>431
    黒田官兵衛伊達政宗も影響出た
    うまくいけば黒田官兵衛は九州抑えて天下狙えたし伊達政宗も東北で大大名になれたからな
    上杉さんはちょうど最上義光相手に苦戦してたときに関ケ原の連絡が来て退却戦に難渋したが戦力をほぼ温存できたので戦後の和平が有利になった
  40. 441 ID:2M8Dn1kq0
    >>278
    意外だけど「秀頼様の御為に」ってのは西軍が多用した言葉なんだよ
    関ヶ原直前の家康書状を見ると秀頼のためとは一度も言ってない
    浅野幸長の書状には会津征伐の直前に秀頼と淀殿、北政所から会津出陣を止めるよう説得され家康は機嫌が悪くなったなんてことも書かれてる

    東軍サイドで見ても秀頼様のためにと言ってるのは8月24日付福島正則書状と9月15日付加藤清正書状くらいしかないな
  41. 443 ID:OIkABEoC0
    >>432
    北条があれだけの兵数を動員できてて
    それはないだろ。
  42. 445 ID:QkWiacFo0
    >>432
    馬鹿すぎ
    こいつ鎌倉幕府も知らんらしいw
  43. 447 ID:pm7w1kGq0
    >>442
    助かりようがない
    信長の直属軍の数千いる馬回り衆は洛内で分散していて本能寺で護衛してなかった完全無防備状態だったしかも近くに信忠までいたと

    この故事から家康秀忠家光は上洛する時はからなず数万の武装兵連れていった
    家光が30万連れて行きましたってのも大げさじゃない
  44. 449 ID:IVI/efRz0
    >>438
    官兵衛が天下狙ってたなんて本気で思ってる馬鹿がまだいたのか
    ちょっと考えればそんなのあり得ないって分かるだろうに
  45. 452 ID:pm7w1kGq0
    >>443
    動員できても経済力無くて長続きしなかった
    でしょう北条は
    北条氏政が秀吉に求められ上洛しなかったのも金が無くて上洛できなかったから
    弟氏規を代理で上洛させるだけでも北条兄弟が金を出し合い他にも臨時課税やってやっと
    費用捻出できた
  46. 454 ID:2M8Dn1kq0
    >>438
    如水や家康の書状見ていくと如水は家康の意向に沿って動いてるし、10月4日付吉川広家宛黒田如水書状の
    「上方於美濃口御取相当月迄も御座候者、中国へ切上、花々と見知返し候而、一合戦可仕と存候ニ、はやく内府御勝手ニ罷成残多候」
    この一文がクローズアップされ過ぎて一人歩きしてるような感じするわ
    如水は家康と敵対して隙あらば第三勢力になってみたいなことは思ってなかったと思うけどね
  47. 456 ID:pm7w1kGq0
    >>312
    丹羽長重とか石高少ないけど国主大名として復帰したような
  48. 459 ID:OIkABEoC0
    >>458
    立花は微塵にも出てこないな・
  49. 463 ID:2M8Dn1kq0
    >>322
    書状の花押の上の署名の変遷を見ると
    最初は「孝高」で文禄2年に剃髪して以降は「卜庵」や「如水」、最晩年は「圓清」だな

    一例を挙げるとこんな感じ

       如水軒
    ○月○日 圓清(花押)

    ○○様
  50. 467 ID:OIkABEoC0
    >>462
    それってどうみても史実だとは思えないんだよな。
    そもそも西軍を三成が仕切ってたわけじゃあるまい。

    >「お前は家康に人望で負けてるから勝てるわけないだろ」
  51. 469 ID:9Apsh1R00
    >>460

    ( °∀°)豊臣秀吉の朝鮮征伐モノは朝鮮人が騒ぎ出すからワークニではテレビ放映出来ない
    というウワサが真実がどうか見てみたいよね。

    ( °∀°)つ酒
    (/◎\)グビビー
  52. 473 ID:0+suWwny0
    >>25
    そんなに三成が嫌いなのかw
  53. 475 ID:61vBnR+a0
    >>469
    小西行長自体は朝鮮の役だけじゃなくて秀吉子飼いの武将としてずっと活躍してるんだけどね
    しかもキリシタン大名
    かなりマニア心をくすぐる武将である
  54. 477 ID:48+yvFcy0
    >>476
    統制もなにも秀頼は関ヶ原の年に数え年で8歳だぞ。
    今だと小学校1年生。
  55. 481 ID:2M8Dn1kq0
    >>470
    清正は庄内の乱に勝手に首突っ込んでしかも反乱軍側の伊集院忠真に兵糧送ったりして家康の勘気を蒙ってるからな
    清正が会津征伐に参陣しなかったのは家康の命令

    関ヶ原前年の9月には家康は清正の上洛を禁止して、もし強引に上洛するようなら淡路辺りでそれを阻止するよう有馬則頼や菅達長に命じてる

    更に慶長5年5月17日付島津義弘書状には
    「加藤主計殿事、此度會津立御供雖被望候、御留守之儀者国元へ被下置之由候」
    清正がこの度の会津征伐にお供することを望んたが、留守居として国元に居るように命じられたとある
  56. 484 ID:5fq82DWH0
    >>467
    上杉討伐のときに三成が挙兵するのは家康のほうも予想してたが三成が大名纏めて他の大老や奉行担ぎ出して自分を弾劾してくることまでは想定外だった
  57. 486 ID:OIkABEoC0
    >>480
    内府違いの条々に三成の署名ないからね。
  58. 489 ID:5fq82DWH0
    >>478
    秀次粛清やった時点で終わってた豊臣は
    秀次生きてたら家康の出る幕なかったな
  59. 491 ID:2M8Dn1kq0
    >>480
    その辺は研究者によっても意見が分かれるところで難しいところだな
    現状だとやはり三成が関わってたという研究者の方が多いね

    内府違いの条々が発給されたのは7月17日で、石田三成が一次史料で動き始めることが確認できるのは7月30日付の真田昌幸宛石田三成書状
    約半月ほどタイムラグがありこれを根拠に三成は西軍の挙兵に関わっていなかったと言う人もいる

    その一方で慶長5年7月15日付上杉景勝宛島津義弘書状では
    「今度内府貴国ヘ出張二付、輝元・秀家を始、大坂御老衆・小西・大刑少・治部少被仰談、秀頼様御為二候条、貴老御手前同意可然之由承候間、拙者も其通候」

    今度内府が会津征伐を行うにつき、毛利輝元・宇喜多秀家・大坂御老衆(増田長盛・長束正家・前田玄以)・小西行長
    ・大谷吉継・石田三成が相談して、秀頼様のためにと挙兵した。貴方も我らに同意すると聞いております。
    とあるので、やはり三成は首謀者だという人もいる
  60. 493 ID:OlRhGEBK0
    >>79
    花と火の帝を完結まで読みたかった…
  61. 497 ID:QkWiacFo0
    >>486
    それがどういう種類の(例えば公的な書?)書類なのか分からんが
    豊臣政権内部の公式な書とするなら(五奉行にまだ在任してる人の署名があるよね)
    当時五奉行をもう罷免されてた三成にはそこに署名する資格がないんじゃね?
    例えると部長をもう解任だか退職しただか人に部長決済の印はもう押す権利がない
    みたいなw
  62. 499 ID:QkWiacFo0
    >>494
    打ち首になった頭蓋骨が残ってるしなあw
  63. 501 ID:oCG+BqWn0
    >>492
    関ヶ原の知らせを聞き慌てて引き返す徳川を
    上杉が大軍で追討してれば結果は変わってた
    矛先を最上に向けた直江兼続が最大の戦犯
  64. 506 ID:LsSegpFY0
    >>487
    関ヶ原の時はどちらも豊臣軍を名乗っていたからな
    徳川家康も5大老の一人、だから福島正則も東軍で戦っている

    もしも秀頼を西軍が総大将で着陣してきたら
    小早川は西軍のままだろうし
    福島正則も西軍に寝返って家康は惨敗だった
  65. 508 ID:OIkABEoC0
    >>501
    会津移封2年では追撃戦をやるだけの動員や兵站維持は無理だろ。
    だからあと5年早ければと。
  66. 510 ID:oczXn81k0
    >>501
    結城秀康が宇都宮にとどまってたから
    三成と上杉で家康を挟撃なんて無理な話
  67. 513 ID:5fq82DWH0
    >>487
    前田利家は柴田勝家に借りがあって絶対裏切れないと思われてた
    若い頃茶坊主切って浪人したときその間に妻子の面倒みてくれたのは柴田勝家で罪の赦免や帰参の取り成しそのための陣借りまですべて柴田勝家に面倒見てもらったのは織田家家中には広く知られていた
    それを裏切るのはとんでもない恩知らずと
    当時でも問題になっても仕方ないんだけどな
    その負い目があるから馬車馬のように利家は
    秀吉にこき使われたと言えなくもない
  68. 515 ID:2M8Dn1kq0
    >>501
    直江は間違ってないでしょ
    当初上杉は伊達も最上も調略で味方にしてそれに佐竹を加えて江戸に攻め込むという壮大な構想(笑)を持ってたけど伊達も最上ものらりくらりと上杉にいい返事をしながら二股外交してた
    このままだと時間だけが過ぎていくということで上杉は後方の最上を叩きに行ったけど最上が予想以上によく奮闘したってこと
    仮に上杉の思い通りになってたとしても秀忠がいるしどっちみち江戸乱入なんて無理だけど
  69. 518 ID:AUGSHKDO0
    >>142
    と言っても義弘は伏見城に援軍したいって言って断られての西軍なんだよな
    読めないというのは少し可哀想だよ
    あと千だと大勢的には影響ないから、削られるより温存を選んだのは現実的
    不参戦はプライドの問題が大きそうだが
  70. 520 ID:yQJXqieG0
    >>486
    単純に大坂にいなかっただけ
  71. 522 ID:7XDhUcj90
    >>501
    戦犯と云うのは気の毒過ぎるわ
    他の人達が書いてる様に無理難題ではあった
    しかし、やるべきだったとも思うし、やってみなきゃ分からん部分は多々あったはず
  72. 524 ID:5fq82DWH0
    >>518
    庄内の乱の直後で本国は動けなかったし
    薩摩なので上方で何が起きてるか状況把握が全くできなかった義弘の兄の義久と後継者巡って確執あり
  73. 529 ID:9Apsh1R00
    >>475

    ( °∀°)うん。しかも小西行長は朝鮮から帰化したヒトなんだよね。ゆえに当時の朝鮮にも通じて
    タンだろうね。

    ( °∀°)宣戦布告という映画で朝鮮から帰化したヒトが内閣府で大活躍するけど、小西行長もそんな
    カンジだったのだろうか。想いをハセてしまうよね。

    ( °∀°)つ酒
    (/◎\)グビビー
  74. 531 ID:2M8Dn1kq0
    >>521
    確かにそれもあるな
    ただやはり最大の理由としては最上を叩くことに主眼が置かれており、更に最上攻めは次の攻撃目標は伊達だぞと言う伊達への牽制にもなってる
    一応景勝も上方と連携して江戸に攻め込むという当初の構想は持ち続けてたと思うよ

    9月3日付本庄繁長宛直江兼続書状で
    「最上とは一応和睦交渉を続けるが、このままダラダラ交渉を引き延ばすようなら、外聞のためにも最上領へ一働きする」と最上との交渉が上手くいかず焦っている様子も伺える
  75. 535 ID:N1H/uA5D0
    >>495
    畳の上で死ねたやつはだいたいあるんじゃね?
    まぁ信長なんかは信長公記のおかげでだいたい像は見えてるけど
  76. 540 ID:LJM/kun90
    >>538
    徳川の墓も掘り起こされてる
  77. 542 ID:Hu+80kkq0
    >>230
    馬袋 義則(ばたい よしのり、1972年10月3日 - )は、兵庫県出身のボートレーサー。登録番号3612。身長168cm。血液型B型。71期。兵庫支部所属

    字は間違ってるが読みはあってるんだなこれがw
    はっずかし~
  78. 544 ID:yQJXqieG0
    >>541
    秀秋の裏切りに気づいて佐和山まで撤退するつもりらしい
    吉川広家はそういってる
  79. 547 ID:V1UygeIT0
    >>260
    毛利や西方の大物に手柄にさせるわけにはいかないから汚名着せて追放かね、恩賞ももらってたよな確か
  80. 550 ID:QkWiacFo0
    >>540
    あれは霊廟が戦争の空襲で瓦礫になってそれを整理する時
    どうせならと残った遺体の調査もしたまで
    無事だったと言うか健在な霊廟を掘り起こしてはいない
    例えば家康の遺体は別に発掘調査などされておらず
    埋葬時のまま安置されてる
    と言っても実際にどこにあるのか確定してない(調査してないので)
    まずは静岡の久能山に埋葬しその後日光に亡骸を移すようよう遺言した
    と言う話は残ってるがそれを実行したかどうかは分かっておらず(確認取れてなく)
    実際に家康の以外にどこにあるかは確定されてない
    (一応日光に安置されてるとはされてるが)
  81. 552 ID:FhoVj8CO0
    >>253
    毛利軍は大津城に精鋭割かれてるから秀元本軍はハリボテ
    秀忠に主力持ってかれた家康軍みたいなもん
  82. 554 ID:EGjqPTtN0
    >>131
    わたすはマリリンモンローです
  83. 556 ID:Lgc7pWv40
    >>416
    >>96はワリとマジだぞ
    色々と資料が残ってるからデマカセじゃない

    酒宴の席で配下を斬り殺したとか
    家臣の謀反が相次いで統治困ってたとか
    相手を叱責する手紙は何通もあるし
    足が不自由に成って騎乗が出来なくなったって資料もある

    ま、上杉謙信が好きな人は認めたくないだろうけど
  84. 559 ID:Lgc7pWv40
    >>445
    お前は鎌倉幕府から秀吉天下人まで何年のブランクがあると思ってんだ(笑)
  85. 561 ID:Lgc7pWv40
    >>457
    サラッとデマ言うなw
  86. 563 ID:Lgc7pWv40
    >>499
    そりゃ偽物の頭蓋骨ぐらい用意するだろw
  87. 565 ID:m+ey6SbF0
    >>556
    聞きかじり乙
  88. 567 ID:X3DsiIVC0
    >>25
    覇王伝の武将ファイルだね
    覚えてる
    辞典の方は朝鮮出兵の項目で
    日本は未来永劫謝罪しなければならないとか書いてあってひいたわ
  89. 569 ID:f6CpYndm0
    >>568
    継いだ、ってか下剋上で乗っとったの方が近いんでないの?w
  90. 571 ID:pJ21kkXb0
    >>557
    東軍メガネをはずしてごらん
  91. 573 ID:B9T4bkay0
    >>572
    お前ら凄いなぁ
    読み込んでいるのかな
  92. 575 ID:2M8Dn1kq0
    >>558
    >ドサクサで九州で領地広げてる←創作

    >官兵衞が東軍に付いて勝ちましたと報告に来た息子(長政)に「なんで後から家康を刺さなかった?」と怒鳴り付けたなんで話もあるぐらい←明治、大正時代に書かれた本が出典の創作
  93. 578 ID:yuVmCtlA0
    >>572
    日本語読める?理解できる?

    >それそれ一発吹いただけだよね
    >自分たちが負けたのは相手が強かっただけで自分たちは悪くないと
  94. 580 ID:yuVmCtlA0
    >>575
    上は創作じゃないぞ?
    実際に毛利勝永はそれで領地を失ってる
  95. 582 ID:2M8Dn1kq0
    >>578
    何言ってんだこいつ

    >自分たちが負けたのは相手が強かっただけで自分たちは悪くないと

    何に対して言ってんの?w

    >>579
    まーた創作の話ですか
    木村重成が皆から讃えられてたって一次史料ソースプリーズ
    重成は常日頃から兜に香を炊き込めてたから首実検の時にいい匂いがして家康に関心されたとかも信じてそうw
  96. 584 ID:2M8Dn1kq0
    >>580
    へー
    家康の指示で如水は小倉城(毛利吉成・吉政父子の居城)を攻めてるけど
    どこがどさくさに紛れて簒奪してるの?

    (慶長5年)9月28日付黒田如水宛徳川家康書状
    今度大友其地へ相働候之處、被及一戦、数多被討捕、殊大友被生捕之由、誠感悦之至候、然者毛利壱岐守所へ可成程被相働、可被申付候、
  97. 586 ID:yuVmCtlA0
    >>585
    日本語が通じないのかw

    一次ソースの信憑性の話をしてるのに
    他に信じられるモノが無いからそれが100%正しいとか
    論理展開が無茶苦茶過ぎるwww
  98. 588 ID:2M8Dn1kq0
    >>586
    ガチガイジやん
    話にならんね
    そりゃ一次史料であってもバイアスや誤謬はあるし鵜呑みにはできないものも中にはある
    立花の件に関して一次史料で諸将から信頼されていたことという史料を俺は示したけどお前は信じられないんだろ?
    それならなぜ信憑性が低いのか他の史料でもって反論しろよ
    アホか

    >>587
    話にならんね
    お前はゴミだわ
  99. 591 ID:yuVmCtlA0
    >>588
    で、徳川家康は命令できる立場に居たの?
    逃げないで答えてよ?
    ネェネェ?
  100. 593 ID:2M8Dn1kq0
    >>590
    だから一次史料でもバイアスや誤謬はあると言ってるやん
    日本語読めないガイジくんw
    信憑性が低いと主張するならそれに対する史料持ってこい
    ガイジには分からんかもしれんけど単にお前の妄想でこの書状は嘘言ってるかもしれないは通らんよ

    >>591
    征夷大将軍とか幕府とか何言ってんだこのバカ
  101. 595 ID:aNX2vPwZ0
    >>312
    島津義弘
  102. 601 ID:IgmUbZge0
    >>597
    蒲生氏郷や島左近は同時代人に評価の高かった人だからさ
  103. 604 ID:6HMEYoCY0
    >>557
    家臣に寝首を掻かれないかしら
  104. 609 ID:VlOsLEpu0
    >>25
    これ行間読むと称賛してる文章だよね
  105. 611 ID:Ho7XQxJ20
    >>608
    全然現在に至ってないけど
    そもそも幕末期に優秀な幕府の人間はテロリストに殺されまくってそも人殺しのテロリストらが新政府として政治の中枢牛耳って今に至ってるんだけどちゃんと勉強しようね
  106. 615 ID:LV4vM6Hu0
    >>567
    これは書いた人間に問題があるな
    悪意しか感じないし、全く同意できない
  107. 617 ID:33//JiVj0
    >>611
    殺し合いで負けた
    というのは
    要するに能力が無かったんだろ
  108. 619 ID:LV4vM6Hu0
    >>617
    横須賀に造船所作った小栗のおかげで日露戦争勝てたんやで?
    1995年くらいまで機能してた造船所を国内に作ると言う発想自体が当時にはない
    勝海舟をはじめどうせ作れないから外国から完成品買えばいいやみたいなやつばかり
    そんな小栗を旧幕臣というだけで警戒して登用しないばかりか因縁つけて消したのが明治政府の薩長
  109. 621 ID:33//JiVj0
    >>619
    先見の明がある人間が幕府の中にいたとしても
    薩長土に権力闘争で負けたんだから無能だよ
  110. 623 ID:33//JiVj0
    >>622
    結果が全て
  111. 626 ID:wQ8POkI+0
    >>276
    飯がうまいです!
    って誰のセリフだっけ?
  112. 631 ID:fNuJIV2C0
    >>1
    鑑定したら近代のものだった程度の話で落ち着くのではないか?
    そもそも島左近が1932年に死んだとすると92歳ほどになる

    まあ関ヶ原で討ち死にしているだろ
  113. 633 ID:vKvkbso20
    >>629

    ( °∀°)ヒトは感情移入出来るエピソードをコノムものだ。逆に、たとえばこんな素晴らしい
    電脳世界の便所落書帳を発明したヒトの事を聞いても「フーン」で終わってシマウ。

    ( °∀°)こうして多大な恩恵を受けているにも関わらず、だ。

    ( °∀°)つ酒
    (/◎\)グビビー
  114. 636 ID:FnYjocL70
    >>25
    普通に考えて出世する人のエピソード満載
  115. 639 ID:B2ZJL3mo0
    >>627
    花慶キャラは有能無能の差が極端だったけど
    三成は小物の嫌味キャラとして出て来たのに、豊臣政権を支えるプレッシャーに押し潰されそうになりながら
    慶次に鼻水流しながら本音の苦しさをぶちまけてスッキリして現実に立ち戻る姿が、キャラの長短をよく表せていて良い感じで人間味が出ていた
  116. 641 ID:vKvkbso20
    >>615

    ( °∀°)まるでジツワBUNKAタブーの「社説」を読んでるような感覚に襲われるな。
  117. 645 ID:EliLwE2b0
    >>644
    惜しむくらいならなんで止められないのかな。
    若造の意見くらい簡単に却下できるだろうに。
    所詮は後からのいい訳だろうに。
  118. 647 ID:EliLwE2b0
    >>617
    殺傷能力の高い人間が優秀とは限らないからね。
  119. 651 ID:WFhMg4Q20
    >>644
    >イキった若造指揮官
    山県有朋のことか?w
    つか、むしろ、新政府軍にはそんなのしかいなかった、というのがほんとのところだろうw
  120. 653 ID:EliLwE2b0
    >>650
    三春は会津への通り道だから裏切っただけだよ。
    自領荒らされてまで会津と心中する義理ないからね。
  121. 656 ID:WFhMg4Q20
    >>653
    義理はあると思うがねw
    つか、結局のところ、上杉にしろ、伊達にしろ、「裏切った」のだと思うけどwww
  122. 658 ID:vKvkbso20
    >>653

    ( °∀°)そんな風に東北には我が道を行く独自の気風があるんよ。だからまとまらないのさ。

    ( °∀°)東北は大和朝廷とバトルしてたコロとアンマ変わって居ないのかもしれぬ。
    ナニがそうさせるのかは分からんけど。

    ( °∀°)つ酒
    (/◎\)グビビー
  123. 660 ID:33//JiVj0
    >>647
    治安を守る能力の問題だよ
    警察や自衛隊が犯罪者やテロリストに負けるというのは
    政府の治安対策に問題があるということ
  124. 662 ID:EliLwE2b0
    >>656
    会津救済のための共同での懇願が
    いつのまにかかってに軍事同盟に変えられてたのに
    そこまでの義理はないよ。
    白河の戦いまで付き合っただけでも充分。
  125. 665 ID:WFhMg4Q20
    >>662,663

    >>646
    もう支離滅裂だね、君www
  126. 667 ID:OpfJG64z0
    >>23
    年には勝てんよ
  127. 669 ID:WFhMg4Q20
    >>664
    それもかなりトンチンだなwww
    仙台藩がそんなに強いだなんてそれこそ当時思ってた奴なんていないと思うがwww
  128. 671 ID:WFhMg4Q20
    >>668
    そりゃ、つまり根本的に頭が悪いか、じゃなかったら、全然そのへんの歴史を知らんってことだろ?w
    相手にするに足りねーよwww
  129. 673 ID:EliLwE2b0
    >>665
    戦線離脱を裏切りとは言わんよ。
  130. 675 ID:WFhMg4Q20
    >>673
    ああ、お前もサロンパスかwww
    つか、ほんとお前も相手にするに足りなすぎるわwww
  131. 677 ID:eaHoPStD0
    >>542
    でもその「ばたい」じゃないでしょ?
    あなたがはじめに書いたつもりだったのは
    ドヤ顔で誤字なんてよくある事だから適当なところで矛を収めれば大丈夫だよ
  132. 679 ID:Pgz6Z1oL0
    >>479
    一説によると大野だか浅野だかそんな地味目の側近
  133. 681 ID:Pgz6Z1oL0
    >>677
    俺は素直に勉強になったけどな
    社会人になればわかるけど人間力の差が出るから素直、謙虚は大事だよ
  134. 685 ID:33//JiVj0
    >>683
    あの人の予言当たって来てるな
  135. 688 ID:9Mh2KS140
    >>686
    後世の創作っていわれてますな
  136. 690 ID:7ws9YGz90
    >>686
    眉唾と思ってる
    長浜を与えられたはいいが譜代の家臣が全然いなくて困ってた時に三成の親父が仕官するから自然と小姓になっただけだろうし坊主だったかどうかすら怪しい
    そもそも逸話の初出が三成の死後の200年後で裏付ける資料どころか伝聞もない
    もし三成存命中にその逸話があったとしても秀吉の能力に箔をつけたいのと事務官僚としての能力に箔をつけさせたい秀吉の思惑じゃないのと思ってる
  137. 693 ID:v1V9/zCx0
    >>542
    一晩かけて探したんかw
    ただでさえ笑い物になってるところにこのレスでさらに恥ずかしいことになったんだけど、それすら気づいていないってw
  138. 696 ID:NHb01pj+0
    >>692
    墓暴きなんて基本やらないよ
    やっぱ不敬だからね
  139. 698 ID:7ws9YGz90
    >>694
    ならんね。信長小姓の森4兄弟の下3人は可成の多大な功績で小姓に取り立ててるしね
    親父がクソショボい武将で信長から絶大な評価を受けてなかったなら森蘭丸は歴史に埋もれてた
  140. 700 ID:NHb01pj+0
    >>698
    ならんよな
    小姓って出世コースに乗る一番の手段だろう
  141. 703 ID:v1V9/zCx0
    >>670
    島耕作が討ち死にする理由こそないが
  142. 705 ID:BLvad1Xe0
    >>704
    早かったら北条氏康や武田信玄上杉謙信いたから逆に無理
    伊達政宗で出たころは中小の大名がある程度整理され大名権力も強くなっており大軍も編成しやすい環境になっていたから伊達政宗もやりやすかった
  143. 708 ID:BdRfyMwK0
    >>694
    そりゃ君主にアーッ
  144. 710 ID:BdRfyMwK0
    >>673
    戦線離脱というか敵前逃亡なのでは?
  145. 712 ID:ry9WLZl80
    >>705
    よくそのメンツの中で生き残れたな
    最上は母親の実家としても北には南部もいたんだろ
  146. 714 ID:BLvad1Xe0
    >>694
    寺小姓っては雑用係兼坊主達のアッーの相手ですよ
    教科書に出てくる徒然草の仁和寺の法師の逸話も美少年稚児を巡る坊主達の争いから起きてる話なんだし
  147. 716 ID:NHb01pj+0
    >>710
    譜代筆頭の井伊彦根藩が官軍側に寝返ってるのに敵前逃亡も何も無えw
  148. 718 ID:BLvad1Xe0
    >>712
    東北では名門の家だったのと稙宗晴宗輝宗と政宗の先代3代が有能だったおかげ
    これら3代が東北各地の豪族に自分の子を養子に送り込んで自勢力化して家を強化してきたのを政宗は引き継いだから出だしから有利

    あの芦名もお家騒動で政宗の弟を当主にしようという話が出たくらい伊達家の影響は強かった芦名が政宗の弟を当主にしてたら政宗は
    佐竹義宣と直接対決してただろうな
  149. 720 ID:7ws9YGz90
    >>717
    伊達政宗も徳川家茂も和宮も公認で墓荒らされてます
  150. 722 ID:WFhMg4Q20
    >>720
    家茂と和宮はちょっと可哀想ね…w
  151. 724 ID:BLvad1Xe0
    >>719
    彦根藩は安政の大獄の責任をすべて井伊直弼に押し付けられ領地を20万石にまで削減された
    上にその没取された領地を京都に守衛総督や京都守護職に赴任してきたのが直弼暗殺した水戸藩系の慶喜や松平容保の給与としてまんま与えたもんだからそれを恨んで新政府に速攻寝返ったw
  152. 726 ID:ry9WLZl80
    >>718
    詳しくありがと勉強なった
    名門って藤原氏だったよな奥州藤原の流れなんだろうか
  153. 729 ID:BLvad1Xe0
    >>723
    そりゃ彦根藩すりゃそのあと藩主暗殺した水戸藩の系統の人物が京都に赴任してくるんだぜ徳川慶喜と松平容保なんてモロ水戸系の人士で没収された領地を幕府はこの2人の手当ててとして支給したもんだから彦根藩からすれば屈辱以外何物でもない藩内に尊王攘夷派が台頭し瞬く間に藩論になった
  154. 732 ID:BLvad1Xe0
    >>727
    たしか発掘したときちゃんと保存しなかったんだよなそれで一晩で消えたとさ
    中国も兵馬俑を最初に発掘したときは像についてた染料の色が変色したからそのあとから
    保存方法確立するのに苦労したとか
    始皇帝陵を当面発掘しないと発表してるのも
    発掘しても保存する技術がまだ確立されてないから
    あと中国各地で再開発で遺跡がアホみたいに出てきてそっちの発掘保存のほうにマンパワー取られて其れどころじゃない
  155. 734 ID:7ws9YGz90
    >>731
    盛氏が存命だったころの蘆名は伊達にはどうにも出来なかっただろうからね。まさに奥州最強
    政宗は早く生まれても遅く生まれてもノーチャンス
  156. 737 ID:ry9WLZl80
    >>733
    夏侯淵を倒して漢中を手に入れた際に劉備が
    張飛を差し置いて魏延を漢中太守に任命したんだよな
    これには周囲の皆が驚いたらしいがそりゃそうだろう
    後で考えるとこの大抜擢は劉備の慧眼だわ
  157. 739 ID:kUfL+o9L0
    プレスリーも生きてるって東京のスポーツ新聞に